歳時記

片道10時間の運転。

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 いま、西日本の某市に宿泊している。
 江戸時代、布教先で自害して果てたA法師(浄土真宗)に興味があり、彼が所属していた寺を訪ねたのだ。
 寺は山間部にあるので、東名高速、中国自動車道と乗り継ぎ、クルマをすっ飛ばしてきた。
 事前に住職のアポを取ろうかと思ったが、協力を仰げば、もし作品化するときに足枷になるかもしれない。
 それに、私が知りたいのは、ただ一点。
 A法師が危険をおかして布教に赴いた経緯である。
 本山からの要請だとしたら、なぜA法師なのか。
 自発的としたら、どういう経緯によるものか。
(縁があれば住職に会えるだろう。縁がなければ、お参りだけして、温泉に入って帰ろう)
 そう思い、あえてアポは取らなかったのである。
 私はあまり悩まないタイプの人間だが、その理由は、縁という偶然に丸投げする性格だからだろう。
 是非はともかく、人生、そんなもんだという諦観は昔からある。
 で、雨の降るなか寺を訪ね、ピンポーンとチャイムを鳴らすと、初老の男性が出てきた。
「ご住職ですか?」
 と問うと、そうだという返事。
(おっ、縁がある)
 と気をよくしつつ、
「千葉から来たのですが、A法師は、なぜ使僧になったのですか?」
 ズバリ、問いかけた。
 傘をさした見ず知らずの男が挨拶もせず、いきなりそんなことを尋ねたのだから住職も驚かれたろう。
 インタビューのコツというわけではないが、聞きたいことが一点だけの場合は、外堀を埋めようとせず、「いきなり本丸」がいいのだ。
「それなんですがねぇ」
 と住職も律儀に反応しくださり、
「いまもってナゾなんですよ」
 要するに「わからない」とおっしゃるのだ。
 そのうえで、住職の推測をうかがった。
 立ち話ではあったが、私としてはこれで十分である。
「わからない」ということを知っただけで、「なぜ使僧になったか」という理由は、私がこれから想像の翼を広げても許されることになるのだ。
「わからない」という、たった一言を得るため、片道十時間の運転は楽ではないが、来た甲斐があった。
 気分は上々で、これからノートパソコンに向かい、溜まった仕事の執筆である。

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