歳時記

「私(し)より公(こう)」という人生観

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 いま、都内から帰宅。
 今日は日曜日だが、うまい焼き鳥屋があるというので、若いライターを交えて歓談した。
 62歳の私は定年世代だが、「セカンドライフ」という言葉にいささか抵抗感を覚え、人生、死ぬまで現役でいようと、いろんな人と会い、新しい知識を吸収し、あちこち走り回っている。
「これからは社会貢献もしたい」
 と愚妻に言うと、
「それ以上、用事を増やしてどうするの」
 目を三角にした。
 そういえば今日は都内に出かける前、保護観察の家庭訪問に行ってきた。
「忙しいから畑に行けないんでしょう? 忙しいから原稿を書く時間がないんでしょう? いつも自分でそう言ってるじゃないの」
 嫌味を言うが、ごもっとも。
 だが、愚妻の主張は、「公私」のうちの「私(し)」を中心とする考え方。
「公(こう)よりも、私(し)を優先」
 という生き方である。
 私は違う。
 というより、
「私(し)より、公(こう)」
 という生き方をしたい。
 そう言うと、
「何してもいいけど、私に迷惑をかけないでね」
 現実派の愚妻は、しっかりとクギを刺すのである。
 明日は、朝から当道場の審査会だ。
 都内と埼玉から、ウチの師範たちが審査に来てくれる。
 連休なので用事もあるだろうし、ゆっくりもしたいだろうに、年2回、あらかじめ予定を組んで、必ず来てくれる。
 
 これもまた「私(し)より公(こう)」の処し方であり、「私(し)より公(こう)」を優先する人間を、
「信用できる」
 と言うのだ。
 このことを愚妻に話して聞かせ、
「わかったか」
 と念を押すと、
「何でも自分が正しいんだから」
 嫌味を言ったが、あまり強い口調ではなかった。
 これは賛同したときの愚妻のクセなのである。

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