道場の小学生たちから見れば、私は「祖父」の年齢である。
「館長、何歳?」
「62歳」
「お婆ちゃんとおんなじ!」
と、こんな会話になる。
だから威厳に欠ける。
先夜も、私の手をじっと見ていた小学生の女の子が、
「館長の手って、軍手みたい」
と言って、ケタケタ笑っていた。
「何だ、その立ち方は! お爺さんみたいな姿勢になっているぞ!」
注意すると、
「お爺さんは館長じゃないの」
と混ぜっ返したり。
先日、子供を連れて見学に来たお母さんが、
「みなさん、明るくて、楽しそうですね」
と笑っていた。
ホメられたのか、揶揄(やゆ)されたのかわからないが、好々爺をめざす私は、そんな調子で指導している。
私の短気な性格を知る愚妻は、
「信じられない」
と、いつもあきれている。
若いころは、口より手が先。
ケンカもずいぶんした。
「この野郎!」
とケツをまくるより早く、その場で相手をブン殴っていた。
血だらけになって帰宅したことも何度もある。
それがいまは好々爺にあこがれ、それを目指している。
河の流れには乗るものだ。
ゆったりと流されて行けばいい。
河上に向かって泳いでいくことの無意味さに、ようやく気づいたということか。
だが、人間は自惚れがあるから、どうしても自力を恃(たの)もうとする。
自惚れを「努力」と勘違いする。
河の流れにおまかせするというのは、口で言うほどたやすくはないのだ。
河の流れに身をまかせる
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