今日、キャベツの苗を植えに行った。
愚妻の陣頭指揮である。
怒声、叱責、そして、
「どうしてあなたは、そういい加減なのかしら」
溜め息で終わる。
つまり、私の勝ち。
「見放す」とは、「相手を認める」ということなのだ。
ここに愚妻は気づかない。
愚かたるユエンである。
愚妻はブツクサ言いながら、せっせと野良仕事。
私はすることがないので、鍬(くわ)を杖にしてしゃがんでいると、畑の大指南役であるSさんがやってきて、
「レタスは植えたの?」
と訊く。
「さあ」
「さあって、ご主人、あんた、わからないの?」
「レタスだけでなく、どこに何が植えてあるのかさっぱり」
Sさんは何か言いかけたがやめて、愚妻を振り向き、
「レタスはね」
と、指南を始めた。
愚妻は熱心に耳を傾けているが、私はソッポを向いている。
わざと聞かないようにしている。
つまり「知らない」ということは、「間違ってもいい」ということであり、「あてにされない」ということなのだ。
だから私は、これからも畑仕事は堂々とパスすることができる。
ここに愚妻は気づかない。
愚かたるユエンなのである。
愚(おろ)かたるユエン
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