歳時記

まぎらわしい「返答」

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 胃痛を押して、畑へ出かけた。
 一週間前に蒔(ま)いたタネのことが気になったからだ。
 小松菜など、そろそろ芽が出るころだが、まだのようだ。
 ガッカリするよりも、不安のほうが大きくなる。
 ふと畑の隅を見やると、草らしきものが葉を広げている。
「おい、これは草か?」
 念のため愚妻に問うと、
「草じゃない」
 という返事。
 ここで問題が発生する。
 愚妻の言い方が、
「草じゃない?」
 と疑問符のつくイントーネーションであれば、
「それは草だと思う」
 と賛意の返事になる。
「草じゃない!」
 と、〝じゃない〟にアクセントがあれば、
「それは草ではない」
 と否定の返事になる。
 私は賛意の意味に取り、鍬(クワ)でガツンとやったところが、
「何するのよ!」
 愚妻が怒った。
 ルッコラーだか何だか、愚妻が植えた野菜だったのである。
 ここから論戦が始まる。
「草じゃないって言ったでしょ!」
「ならば、わしの質問に対して、なぜイエス、ノーで答えないのだ。責任は、まぎらわしい返事をしたおまえにある」
「いつもそうなんだから!」
 こうして論戦は丁々発止と続くのだが、さて返事や伝達の間違いは「伝えた側」にあるのか「受け取った側」にあるのか。
 今日の畑は、いろいろ考えさせられたのである。

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