歳時記

「野菜観」と「人生観」

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 昨日午後、都内から帰宅すると、稽古が始まる前に大急ぎでジャガイモを植えに愚妻と畑へ出かけた。
 愚妻に講釈をたれながら植えていると、大指南役のS氏がやってきて、
「違う、違う!」
 植え方を間違っていた。
 愚妻がジロリと私をニラんだので、
「おまえは、私の植え方について異論をはさまなかったではないか」
 と非難したが、愚妻はニコニコ笑顔のまま。
 S氏の手前があるのだろう。
 調子のいい女だ。
 懸案のジャガイモを植え終わり、
「やれやれ、これでひと安心です」
 と背伸びしながらS大指南役に告げると、
「ひと安心じゃないよ」
 と怒られた。
「これから植えるものがたくさんあるんだから。キャベツ、ブッコリー、ネギ、レタス・・・」
 ホントだ。
 ノンキに原稿など書いている場合ではないと、気を引き締めた次第。
 それにしても、S大指南役の〝野菜観〟は含蓄に富んでいる。
「野菜は、命をもった生き物なんだ。そのことを忘れて、人間は自分の力で野菜を作っているような錯覚をしている」
「野菜は何も文句を言わないけど、手を抜けばちゃんと〝態度〟にあらわすんだ。正直だねぇ」
「お金に転ぶのは人間だけ。肥料の代わりに一万円を土に埋めても野菜は育たないんだ」
 そっくり人生に当てはまるのだ。

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