北辰一刀流開祖・千葉周作に次の言葉がある。
「極意とは 己が睫毛(まつげ)のごとくにて 近くあれども見えざりにけり」
(なるほど)
とヒザを叩いたものの、その意味を考えると、これは実に難しいのである。
この言葉を『真理は足下にあり』という意味と同じにとらえれば、
「なんだ、難しく考えすぎたけど、極意はそういうことだったのか」
ということになる。
だが、睫毛は永遠に見ることができないということから考えれば、
「極意は永遠に悟れないもの」
という意味になる。
さて、どっちだろうか。
「おい」
と、愚妻に問う。
「千葉周作に言う『極意とは 己が睫毛のごとくにて 近くあれども見えざりにけり』をおまえはどう考える」
「何よ、それって嫌味を言っているの?」
キッと私をニラむ。
愚妻はこれから、わが家の隣の美容室に〝睫毛パーマ〟をかけにいくのだ。
睫毛をカールすれば、ますます〝極意〟は見えなくなるではないか。
愚妻は永遠に〝人生の極意〟に気づくことはあるまい。
だから元気なのだ。
睫毛(まつげ)と「極意」
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