『卵を割らずにオムレツは作れない』
という相場格言がある。
「オムレツを作って食べたいが、卵を割りたくないというのであれば、結局オムレツは食べられない」
という意味で、
「オムレツを食べたければ、卵を割りなさい」
とういうこと。
相場で儲けたれば「何かを失う腹をくくれ」と相場格言は教える。
これに似た中国の故事に『虎穴に入らずんば虎児を得ず』というのがある。
周知のように、
「虎の住む穴に入るような危険を冒(おか)さなければ、虎の子のような貴重なものを得ることはできない」
ということだが、これは「何事もリスクをともなう」ということで、親虎に噛み殺されるかもしれないが、うまくいけばケガすることなく虎児を得ることができる。
ここが「卵を割ってオムレツをつくる」こととは似て非なるところだ。
私たちはこれまで、『虎穴に入らずんば虎児を得ず』という生き方をしてきたのではないか。
(あわよくば)
(うまくいけば)
と、うまく立ちまわることで、何かを得ようとする生き方である。
だが、今度の大震災は、そういう生き方を木っ端微塵にしたのではあるまいか。
オムレツを食べたければ、卵を割らなければならない。
復興には、卵を割るという〝痛み〟が確実に伴うのだ。
人生もしかり。
『虎穴に入らずんば虎児を得ず』から『卵を割らずにオムレツは作れない』へ。
私の人生観も変わりつつある。
「オムレツ」と「卵」
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