歳時記

いま、為(な)すべきことをなせ

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 何となく、揺れているような気がする。
 愚妻も同じことを言う。
 知人に聞いてみると、やはりそうだという。
 これが、連日の余震による〝地震酔い〟というやつなのだろう。
 昨夜も余震で飛び起き、時計を見ると午前3時過ぎであった。
 被災地の方々は、劣悪な環境のなかで復興に向け、少しずつ行動を始められたという。
 私もテレビの前から離れ、《平常心》にもどらなければならない。
《平常心》とは、
「当たり前のことを当たり前にやる」
 という意味だ。
 このことを日本の曹洞宗第四祖の瑩山(けいざん)は、
《茶(ちゃ)に逢(お)うては茶を喫(きっ)す、飯(はん)に逢うては飯を喫す》
 と表現した。
 食事するときは食事に専念し、お茶をいただくときはお茶のことに徹し、雑念をまじえてはならない。「いま為(な)すべきことをなせ」と教えるのである。
 ちなみに《平常心》とは、中国唐時代の名僧・馬祖道一の言葉で、《平常心是道(びょうじょうしん これどう)》
 というのが原典である。
 直訳すれば、
「普段の心こそ仏道である」
 という意味だが、「普段」とは、ご飯を食べる、風呂に入る、掃除をするといった「日常の小さな行い」のことで、そうした日常の小さな行いをもおろそかにしない心がけこそ「仏の道」にほかならない、と喝破したのである。
 すなわち、
「今、この瞬間を渾身の力で生き抜く」
 ということになろうか。
 テレビの前の〝傍観者〟をやめ、自分の為すべきことに専念せよ。
 自分にそう言い聞かせるのである。

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