歳時記

敵を愛し、不幸を愛す

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 子供の夏カゼがはやっているそうだ。
 昨日、所用であった医者が言っていた。
「病院経営ということからいえば結構なことですが、病気を根絶するという医者としての立場からすれば困ったことです」
 つまり、
「医者は病気を治すが、病人がいなくなれば医者の生活は困る」
 ということで、矛盾の上に自分たちの存在は成り立っているというわけである。
 マジメな彼は「それでいいのか」と悩んでいたが、これは犯罪と警察の関係においても言えること。
 警察は犯罪の根絶を目指すが、犯罪があるから警察官の生計は成り立っているのだ。
《狡兎(こうと)死して良狗(りょうく)煮らる》
 という、よく知られた故事がある。
「すばしこいウサギがいなくなると、猟犬は不用になって煮て食われる」
 ということから、
「働きのある間は使われるが、利用価値がなくなると捨てられる」
 というたとえである。
 つまり「敵」の存在によって、私たちもまた「存在」しているということになる。
 この論理でいけば、「不幸」があるから「幸福」があることになる。
 ゆえに、
「敵を愛し、不幸を愛せ」
 ということになる。
 妙な話だが、そういうことなのである。
「とすると」
 先の医者が言った。
「私は病気を愛すればいいんですね」
「そういうこと」
 私はうなずきながら、やっぱり妙な話だと思うのである。 

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