ウツ病が10年で2.4倍、100万人を超えたという。
厚生労働省が3年ごとに実施している患者調査でわかったそうだ。
原因としては、
「うつ病の啓発が進み、軽症者の受診増も一因」
という専門家の指摘もあるが、私がなるほどと感じたのは、やはり専門家の次のコメントだ。
「軽症のウツは自然に治るものも多い。しかし日本ではウツを早く発見し、薬を飲めば治るという流れが続いており、本来必要がない人までが、薬物治療を受けている面があるのではないか」
このコメントのなかでも、
「自然に治るものも多い」
という一語に、私はうなった。
つまり、「自然に治るもの」は「病気」ではなく、
(ちょっと調子が悪いな)
といった程度のもので、これは日常的に誰にでもあることだ。
ところが、なまじウツ病の啓蒙が進んだため、ヤバイ、とばかり医者にかかれば、
「ウツですね」
かくして「病気」になってしまうというわけである。
ウツに限らず、現代は「過敏社会」のような気がしてならない。
エコ問題しかり、仕分けしかり、リストラしかり、不景気しかり、夫婦問題しかり、親子問題しかり、学校教育しかり。
過敏に反応しすぎているものは、いくらでもある。
むろん、それらが自然に解決するとは思わないし、問題可決の努力は必要だ。
だが、過敏に反応しすぎることによる弊害もまた、あるような気がするのだ。
ことに人生においては、「過敏」は禁物。
気にしなければすぎていくものを、過敏に反応して頭を抱えるから「不幸」になるのだ。
良寛さんの詩の一節に、
《騰々任天真》
というのがある。
「騰々(とうとう)として天真(てんしん)にますかす」
と読み、
「ゆったりと天の命ずるままに生きている」
という意味で、私の好きな言葉だ。
風は、右からも左からも、上からも下からも、ときに強く、ときに心地よく吹き寄せてくるものだ。
すなわち、風という浮き世の一つひとつに一喜一憂し、過敏に反応していたら、人生などやっていられないのである。
「ウツ病」と「人生の過敏」
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