かつて大相撲ファンは、力士に人生を見た。
十代の少年が苦しい修行に耐え、関取となって郷里に錦を飾る――その努力と勇姿に〝人生の感動〟を覚えるのだと、かつて年配の相撲ファンは私に語ってくれたことがある。
「飛行機に乗せてやるぞ」
そんな言葉に胸を弾ませ、郷里を後にした少年がいる。
「相撲取りになったら、腹一杯うまいものが食えるぞ」
そんな言葉に目を輝かせ、郷里を後にした少年もいる。
日本が貧しかった時代、相撲取りの多くは、それぞれの人生を背負って土俵に立った。その勇姿にファンは自分が果たせなかった人生の夢を重ね合わせ、熱い声援を送ったのだった。
周知のように、朝青龍と白鵬の一番に対し、横綱の品格に欠けるとして批判が起こっている。
来場所は〝遺恨試合〟として、大いに盛り上がることだろう。
大相撲は、髷(まげ)をつけたプロレスになったのだ。
いま思えば、
「感動した!」
と土俵で叫んで流行語にした元首相は、いったい何に感動したのだろうか。
ハンカチ王子にハニカミ王子、宮崎のセールスマンにオッパッピー、そして、どんだけぇ……。
空虚なフレーズに乗って世相は流れて行く。
「ええじゃないか、ええじゃないか、えじゃないか……」
江戸時代後期に流行ったフレーズが、私の耳の奥底で聞こえてくる。
私たちは、いったいどこへ向かって歩いているのだろうか。
世相と空虚なフレーズ
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