ウツ病の人に《励まし》は厳禁である。
「頑張ってください」
「早く元気になってください」
こんな正論で励まされると、ますます落ち込んでしまう。
なぜなら、他人に励まされるまでもなく、自分が自分に対して「頑張れ!」と叱咤激励し、「早く元気になりたい」と念じているからだ。
つまり全力疾走しているにもかかわらず、
「さっ、もっともっとスピードを出して!」
とケツを叩かれているようなもので、
(これ以上、スピードが出ないから苦しんでいるんじゃないか!)
心のうちで悲痛な叫び声をあげつつ、ますます落ち込んでいくというわけである。
ウツ病の人に対しては、
「ゆっくり休養をとればいいよ」
という理解の言葉が有用なのである。
だが、これはウツ病に限らないのだ。
かつて、こんな経験がある。
30代なかばのA君が、勤め先のことで私にこぼしたときのことだ。
A君が、酎ハイに目を落として訴える。
「仕事もつまらないし、人間関係も煩わしいし、会社を辞めようかと思うんですが、それを上司に切り出せなくて……」
それに対して、私は、
「何をごちゃごちゃ言っとるんだ。そんなもん、バーンと切り出せばいいんだ。辞めます――これでいい」
A君の肩を叩いてハッパをかけた。
するとA君がうつむいて、ポツリともらした。
「それができないから悩んでいるんです」
私に言われるまでもなく、A君自身が「バーンと切り出せばいい」ということは百も承知なのだ。
すなわち私のハッパは、全力疾走しているA君に「もっとスピードをあげろ」と言っているのと同じだったのである。
ここは、ウツ病の人を理解するのと同様、
「たいへんだね」
という理解の言葉でとどめておけばよかったのだ。
励ましでなく、理解されたということによってA君は安堵し、その安堵感がバネとなって、みずから解決に立ち向かっていったろう。
《励まし》は、励ます人には気分がいいものだが、相手にとっては必ずしも善ならず。逆効果になるというこもあるのだ。
安易な《励まし》は厳に慎むべし――自戒をこめて思うのである。
「励まし」は必ずしも善ならず
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