昨夜は、某出版社の編集者と飲み屋で、歴史小説の打ち合わせをした。
これまで歴史モノに興味がなかったわけではないのだが、時代小説を書いたことがきっかけで、歴史の面白さを再発見。新たに文庫で書き下ろすことになった。
「〆切なし。存分に書いてください」
という編集者の言葉が嬉しい打ち合わせであった。
で、信長だの、秀吉だの、家康だの、何だかんだと壮大な歴史物語に花を咲かせた帰途、電車内の吊り広告に、〝ちょいワルオヤジ〟の雑誌広告が出でいた。
〝ちょいワルオヤジ〟の「靴がどうした、シャツがどうした」……なんて雑誌広告を眺めながら、
(なんだかなァ)
という気分になった。
もちろん〝ちょいワルオヤジ〟が悪いというわけではないし、雑誌にケチをつけるつもりもないのだが、歴史という壮大なテーマを語り合ったあとだけに、〝ちょいワルオヤジ〟のオシャレ術が何となくチマチマして見えたのである。
(そりゃ、信長と〝ちょいワルオヤジ〟じゃ、勝負にゃなんねぇよな)
と、腹のなかでブツブツ言いつつ、これはまさに《比較のレトリック》であることに気がついた。
「福田総理も頑張ってるんだろうけど、明治の元勲にくらべればゴミみたいなもんだ」
「倖田來未も人気だけど、マドンナにくらべればスケールが違うよ」
でっかいモノを持ち出すことで矮小化させる――これが比較のレトリックで、実は、私がよく使う手なのである。
「バカ者、貴様にワシの真意がわかるか。貴様がワシに意見するのは、30センチの物差しで地球を測るようなものなのだ」
こう言われて目を三角に吊り上げるのは女房くらいのもので、たいてい相手は一瞬、押し黙る。
そして、このタイミングを逃さず、
「しかるに――」
と話を継いで、〝我田引水〟に持ち込むのである。
吊り広告の〝ちょいワルオヤジ〟の笑顔を眺めながら、そんなことを考えつつ、電車に揺られた次第。
大が小を呑み込むレトリック
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