アブダビのオークションで、「1」の自動車ナンバープレートが15億円で落札された。
「一族の持つ資産に比較すれば大きな額ではない」
と、落札したアラブ首長国連邦の実業家は涼しい顔だったとか。
このニュースを見て、私はムカッ、ときた。
ガソリン高騰で、世界中がヒーヒー言っているのに、アラブの野郎はナンバプレートに15億円!
「てめぇら、そのうち石油が枯渇して泣き面かくなよ」
さんざん毒づいたあとで、
(ありゃ、わしも歳を拾うたわい)
と愕然とした。
私の〝ムカッ〟は、嫉妬である。
嫉妬は精神的な「老い」である。
私が青雲の志に燃えた若者であれば、このニュースを見て、
(わしも大富豪になりたい!)
と羨望しただろう。
羨望でなく、嫉妬したことに、私は愕然としたのである。
こうしてみると、嫉妬は「あきらめ」の裏返しであることがわかる。
だから毒づく。
(あの野郎、コケればいいのに)
と失敗を願う。
暗いですな。
ところが羨望は、「夢」の裏返しである。
だから賞賛する。
(オレも、ああなりてぇな)
と励みにする。
前向きで、嫉妬よりはるかに明るいですな。
嫉妬も羨望も、煩悩ということで言えば〝目クソ、鼻クソ〟には違いないが、これを精神年齢のバロメーターとして見れば、天地の差があると、私は考えるのである。
今日、スーパー銭湯に行くと、テレビに宮崎県の東国原知事が出ていた。
話題は、彼が東京マラソンで走ったことである。
東国原知事の〝ラッキョ顔〟を観ながら、私は、
「何だかんだ言いながら、結局、宮崎をダシにして、自分の名前を売っているだけじゃねぇか」
と毒づいてすぐ、
(あっ、いけねぇ!)
と反省。
「頭いいなァ。〝宮崎のために〟という錦の御旗を掲げれば何でもありなんだ」
と賞賛し直した次第である。
嫉妬と羨望と、東国原知事
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