歳時記

温泉と紅葉と、人生の休息

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 日曜日から2泊3日で長野県の諏訪温泉へ行く。
 温泉と紅葉見物である。
 なぜ諏訪なのかと言えば、理由はない。
 気まぐれである。
 私が仕事部屋を借りている房総半島の鴨川は、背後に養老渓谷を控え、ここの紅葉は見事で、多くの観光客でにぎわう。昨年の私は、養老温泉の旅館に〝日帰り入浴〟し、湯船から紅葉を楽しんだ。
 ならば、今年も仕事場に行ったついでに、近場の養老渓谷へ行けば、お金もかからず、温泉も紅葉も堪能できるのだが、それがわかっていながら諏訪へ行く。
 気まぐれな人生は、お金がかかるのだ。
 と、ここまで書いて、「お金」から「ケチ」ということを連想した。温泉と紅葉について書くつもりだったが、気が変わった。
 ブログも人生同様、気まぐれなのだ。
 で、ケチについて――。
「ケチ」とは、どういう意味か。
 いざ問われると、意外に説明できないものである。
 辞書を引いてみると、
《しみったれ。必要以上に物を惜しがること。そのような人》
 とある。
 要するに、「出すべきお金さえも、惜しむ人間」ということになろうか。
 仲間と飲みに行って、
「細かいのないから、今度でいい?」
 と言って割り勘をパスする〝ちゃっかり屋〟。
 毎度、奢ってもらっていながら、
「いくら? いいの? いつも悪いな」
 と言いながら、ケロリとしている口先男。
 先輩後輩、上司部下の関係ならともかく、仲間内でケチをすると、人格まで疑われることになる。
 一方、同類の言葉に「節約」がある。
 これの意味は、
《ムダを省いて切り詰めること》
 と辞書にある。
 ケチとは違って、ムダを省くことに主眼があり、美徳と言っていいだろう。 こういう人間は信用を得る。
「ケチ」と「節約」は、ともに財布のヒモは固いが、その精神たるや、似て非なるもで、ケチは財布のヒモを閉めることによって、「信用」という〝人生の財産〟まで閉め出していることに気がつかないのである。
 で、私はどうか。
 ケチではないと思っている。
 だが、節約も苦手である。
 つまり、ただの浪費家。
 お金は命の次に大事なものだけに、そのつかい方には全人格が現れるとされる。
(自分はお金だけでなく、人生も浪費しているのではないか?)
 ふと、そんなことを思った。
 温泉に浸かって紅葉を愛でることは、「人生の休息」なのか、あるいは「お金と時間の浪費」なのか。
 仕事で多忙な人は「休息」、ヒマ人は「浪費」とするなら、物書きという商売がら、「年中無休」にして「年中営業中」の私はどうなるのか。
 素直に楽しんでくればいいとわかっていなから、ヘソ曲がりの私は、単純なことを、あえて難しく考えるのである。

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