「ブリタンのロバ」という言葉をご存じだろうか。
こんな話だ。
空腹のロバがいて、目の前に「水」と「エサ」があるにもかかわらず、餓死してしまう。理由は、ロバはどっちも欲しいのだが、どっちから先に口をつけていいか決めかね、結局、餓死してしまったという話。どっちを選ぶか、迷いに迷ったあげく、選び損(そこ)ね、元も子もなくすことのたとえである。
笑ってはいけない。
迷いの本質は、「どちらも欲しい」という欲であることを、このたとえ話は見事に現しているのだ。
ずいぶん昔になるが、私は週刊大衆で、俳優・梅宮辰夫さんを回答者とする「人生相談」の連載原稿を書いたことがある。
毎週、いろんな相談が寄せられたが、梅宮さん曰く。「右と左と同時に行こうとするから、悩むんだよな」と喝破した。
右と左の分岐点に立ち、どっちの道を選択するか迷い、決めかね、それが悩みになっていくというわけである。
では、なぜ決めかねるのか。
それは、選択した道が正解であるかどうかは、先に進んでみなければわからないからであり、後戻りはできないからである。
だから迷う。
選択に失敗すれば後悔するのは当然だが、人間というやつは欲があるから、選んだ道がたとえ正解であっても、
「あっちの道を選んでいれば、もっとよかったかもしれないな」
と後悔する。
つまり、正解でも不正解でも、人間は後悔するということなのだ。
そして人生は、煎じ詰めれば二者択一の日々だ。
「やるか、やらないか」「行くか、行かないか」「買うか、買わないか」「承諾するか、断るか」「飲むか、飲まないか」「その会社に就職するか、しないか」「結婚するか、しないか」……。
あみだクジのごとく、日々を二者択一で生きた集大成が「人生」なのである。
だから、私たちは常に「ブリタンのロバ」なのだ。
迷ったあげく、決めかねてその場に立ちつくせば、ロバのごとく餓死する。
さりとて、一方を選べば、
「あっちのほうが、もっとよかったんじゃないか」
と後悔する。
すなわち、どっちに転んでも、ハッピーにはなれないのだ。
だから、人生の岐路に立ったら、「どっちを選んでも、いずれ自分は後悔する」ということを、しっかりと肝に銘じることだ。
そうすれば、少なくとも悩みの程度は軽くなるはずである。
ついでながら、週刊漫画ゴラクで、私はエッセイの連載を始めた。第1回は本日発売である。一読願えれば幸である。
どう生きても、後悔するのが人生だ
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