正月を迎えて体重が3キロほど増えた。
元旦夜、スーパー銭湯へ行ってわかった。
年末、原稿を書いていて腰に負担を感じていたので、そうじゃないかとは思っていたが、現実をつきつけられてガッカリである。
ガッカリしたのは、〝美的〟な意味や〝健康〟のことを気にしてではない。
僧籍を得てからというもの、太っているのは何となく食い意地が張っているようで、偏見と知りつつ、みっともないような気がするのだ。
それで体重を落とした。
半年かけて70キロを65キロにし、以後1年間というもの、65キロをキープしてきたのである。
ところが年末、道場が休みになってから、身体を動かすことがなくなった上に、過食をしてしまった。
仕事が忙しくなると、現状逃避のスイッチが無意識にオンになり、ストレスから過食するようになる。
わかっていて、過食するのだから、煩悩とは恐ろしいものではないか。
で、元旦夜のスーパー銭湯。
体重を少しでも落とすべく、サウナ室に飛び込むと、備えつけのテレビが〝大食い番組〟をやっていた。
ステーキの大食いバトルである。
なんとなく嫌な気分になった。
私の体重が増えたからではない。
世界の5億5千万人が〝飢え〟に苦しんでいるからではない。
貧困で、満足に食事を取れない家庭があるからでもない。
格差社会や、原油の高騰による生活苦を連日報道するテレビ局が、一方で〝飽食〟を笑いのネタにして正月番組をつくる――その節操のなさが、嫌になったのである。
「愛は地球を救う」という言葉は、まさに偽善の極(きわ)みではないか――と、久々に正義漢ぶって腹立たしくなったという次第。
だが、考えてみれば、このブログでご紹介したように、私は痛風になったのだ。
世間に言う「贅沢病」である。
粗食の日々というのは私の都合のいい思い込みで、手帳を見れば、打ち合わせと称する外食がけっこうな数なのである。
要するに美食。
それで体重が増えなかったのは、腹一杯食べなかったからだろう。
飽食――文字どおり、食べるのに飽(あ)きていたのである。
(〝大食い番組〟を見て嫌な気分になったのは、テレビ局の偽善にではなく、自分の偽善に対する嫌悪だったのではないか)
昨日、某ホテルで〝豪華なバイキング〟を頬張りながら、ふとそんなことを考えた。
まさに「言行不一致、我がことを棚に上げ」――。煩悩とは、なるほど厄介なものなのである。
〝大食い番組〟に、我が煩悩を観る
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