「人生、いい時もあれば悪い時もあるさ」
世間の荒海にもまれてくると、こんなセリフが衒(てら)いなく口をついて出てくる。
もっとも、愚妻にこのセリフを口にしたら、
「我が家にいい時なんかあったかしらねぇ」
うかつなことを口にした私のミスである。
実際、人生というやつは、山もあれば谷もある。
「禍福は糾(あざな)える縄のごとし」
とはよく言ったものである。
「糾える」とは「「縒(よ)り合わせる」という意味で、人生は、神社の〝しめ縄〟のごとく、幸と不幸で縒りあわせたものということになる。
ところが最近、ちょっと見方が変わってきた。
幸と不幸は〝しめ縄〟のように別個のものを縒り合わせたものではなく、幸が不幸の原因になり、不幸が幸の原因になるというように、両者は表裏の関係にあるのではないか。
つまり人生は「山あり谷あり」ではなく、
「山に見えて、実は谷」
「谷に見えて、実は山」
ということなのだ。
このことを、昔の人は「浮き世はまわり持ち」と言った。
天下のまわりものはカネだけじゃなく、幸せも不幸もツキも何もかも、決して一つのところにとどまるのではなく、人から人へと移っていくということ。
たとえて言えば天気のようなものだ。
晴れたり、曇ったり、雨が降ったりと、必ず移ろっていく。
台風だって、過ぎてしまえば晴天の青空ではないか。
このことを愚妻に話すと、
「うちの台風はいつ過ぎるのかしらねぇ」
テレビの韓流ドラマを見ながら、しらっと言った。
うかつなことを口にした私のミスである。