歳時記

「しゃべり」は個性だ

投稿日:

ものごとを、ひと捻りしてみせるのは、物書きの習性である。

たとえばクルマのナンバー「25-25」は「ニコニコ」に引っかけているのだろうが、
「ほう、不幸・不幸のナンバーか」
と、私は皮肉る。

あるいは先日、愚妻とお彼岸のお参りに霊園に行ったときのこと。

墓石に「みんな仲よく」と刻まれ、バラの花が彫り込んであるのを目にしたので、
「ほう、みんな仲よくバラバラという意味か」
大声で皮肉ると、
「ちょっと、みんなに聞こえるでしょ」
ニラんでから、
「何でもかんでも悪口を言うんだから」

私は悪口を言っているのではなく、「25-25」をつけて喜んでみたり、「みんな仲よく」といった偽善的な文言を見ると、つい逆らってみたくなるのだ。

能書きを言えば、当事者や世間が「是」とすることに対しては「否」、「否」とすることに対しては「是」の視点から見るということである。

だが、それが愚妻には気に入らない。
素直ではないというわけだ。

ならばと「皮肉」を封じてみた。
すると、うまくしゃべりのリズムが取れないのである。
たとえて言えば、湖の氷上を歩く気分とでも言うか。

しゃべりは個性なのだ。
存分に好き勝手にしゃべってこその個性なのである。

小泉進次郎がカンペを見ながらの発言が揶揄されている。
失言を恐れてのことだろうが、氷上をおっかなびっくりで歩けば、持ち味は死んでしまう。
私は皮肉を封じてみて、進次郎の気持ちがわかるのだ。

-歳時記

Copyright© 日日是耕日 , 2025 All Rights Reserved.