死は必然である。
死を現世(人生)のゴールとすれば、万人がそれぞれ自分の人生において1着ということになる。
他人の人生を生きられない以上、そして自分の人生は自分でしか歩めない以上、人生レースにおいて競争相手はおらず、みんなが1着であり、同着である。
ところが、ゴールにおいて同着になるにもかかわらず、私たちは人を押しのけ、足を引っ張り、鼻先を競りながら生きている。
一休宗純は言う。
「生まれては死ぬるなりけり押しなべて 釈迦も達磨も猫も杓子も」
人生ゴールにおいて同着にもかかわらず、人と競うことの愚かさを「釈迦に達磨に猫、杓子」とユーモラスを装いつつ揶揄してみせる。
努力に意味がないのではない。
他人と競うことが愚かなのだ。
「人生のゴールは1着もビリもないでぇ。死んだらみんな同着や」
一休のそんな声が聞こえてくる。