「小泉チルドレンの星」と言われ、「歩くプライド」と揶揄(やゆ)される片山さつき女史が、1500人の支持者を前に、壇上で土下座したそうな。
生活のために身体を売るのが売春婦なら、選挙のために心もプライドも売るのが候補者ということか。
「そうまでして選挙に勝ちたいか」
と蔑(さげす)みつつ、
(いや、まてよ)
と思い直した。
片山女史は、ひょっとして、「当選」ということより「落選」することに耐えられないのではないか。
つまり、落選して「それみたことか」と嘲笑されるのが、プライド女史の彼女には耐え難いのではないか、と思ったのである。
土下座は一時の恥辱(ちじょく)で、当選してしまえば、また威張ればいい。
プライドはいくらでも取り戻せる。
しかし落選すれば、「次」はない。
「それみたことか」
という嘲笑を挽回するチャンスはなくなるのだ。
落選の嘲笑と、土下座の恥辱。
ふたつを天秤にかけ、片山女史は土下座を選んだのだろう。
そう考えれば、女史のプライドは相変わらず「健在」ということになるのである。
それにしても、キャリアウーマンのバリバリ女史が、一票欲しさに土下座するのだ。
これを選挙の恐さと取るか、人間の醜さと取るか。
あれこれ考えさせられる女史の土下座であった。
片山さつき女史が「土下座」
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