歳時記

思い込みという〝落とし穴〟

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 今朝、風呂であれこれ考え事をしていて長湯をしてしまった。
 書きかけの原稿があったが、続きは電車で書こうと、ミニノートパソコンを持って家を出た。
 たいていクルマで出かけるのだが、仕事が切羽詰まっているときは、電車にする。自宅のある千葉の佐倉市から都内各所まで1時間以上かかるので、昼前のすいている電車に乗れば、原稿を書いたりゲラを直したりできるので重宝なのである。
 で、電車に乗り、端っこの席に座ってミニノートを取り出し、原稿を打ち始めた。
 3駅目で、ドヤドヤと大勢の人が乗り込んできて、私のそばに赤ちゃんを抱いた若いお母さんが立ったのである。
 私はミニノートのカバーを閉じて、席をゆずった。
 先日、このブログでご紹介したように、お婆さんに席を譲ろうとして断られたことが脳裏をよぎったが、今回の若いお母さんは恐縮しつつ、喜んで座ってくれた。
 それはいいのだが、原稿が書けない。
 しかも、なるべく時間を多く取ろうと各駅停車に乗っていたのだ。
 ゴトゴトと揺られながら、
(こんなことならクルマにすればよかった)
 と後悔しつつも、「電車で原稿が書ける」というのは、私の勝手な思いこみであったことに改めて気づいた。
 いつもこの時間帯は電車がすいているからといって、座れるとは限らないではないか。「不確かなこと」を「確定」のごとく思いこむことの、なんと愚かなことであうか、と反省したのである。
 連日、民主党の小沢問題が報じられている。
 解散総選挙になれば、民主党の圧勝と言われてきたが、「政権に手が届く」と「手が届いた」では天と地ほどの差があるのだ。
「自民党を解散に追い込めば勝つ」
 というのは、「不確かなこと」であって「確定」ではない。「思い込み」なのである。
 そのことに民主党議員の何人が思い至っていたろうか。
 民主党は、小沢代表と西松建設の一件で〝落とし穴〟に落ちた。
 果たしてこの穴は、浅いか深いか。
 もし、深い穴に落ちて這い上がれなかったとしたら、「思い込み」には何の意味もなかったことになる。
 失敗の原因の多くは、「不確かなもの」を「確かなもの」と錯覚することにあるのだ。

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