日日是耕日

俗にありて、煩悩を耕す365日

歳時記

「継続」と「力」

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 村上春樹氏の『職業としての小説家』というエッセイを読んだ。
 読んだといっても、時間がないので、パラパラとめくり、目を惹いた箇所だけを斜め読みである。
(おっ!)
 と目を惹いたのは、彼が30年間、毎日、走り続けているという下りだ。
 走ることが健康にいいのはもちろんだが、彼は「それだけのことじゃない」として、こんなふうに記す。
《これは僕の人生にとって、とにかくやらなくちゃならないことなんだ」と自分に言い聞かせて、ほとんど理屈抜きで走りました》
《そういう思いが、いつも僕の背中を後ろから押してくれていたわけです。酷寒の朝に、酷暑の昼に、身体がだるくて気持ちが乗らないようなときに、「さあ、がんばって今日も走ろうぜ」と暖かく励ましてくれたりしました」》
「走ること」に意味や理屈を見いだすのではなく、走ることそのものを、「自分の人生において、やらなければならない行為」ととらえていることに興味をおぼえた。
 似たようなことを、一昨年、鳥取県で会ったプロ野球最年長投手の山本昌選手(中日ドラゴンズ)が言っていた。
「僕は野球には神様がいると思っているんです。小学生のころからそうでした。自分に何かを課し、それを実行することで野球は上達すると信じていた」
 その一例として山本選手は、たとえばランニングするときは、
「これを走りきらなければ上手になれないぞ」
 と自分を叱咤するのだという。
 そうすることで、きっと自分を奮い立たせていたのだろうと言った。
 行為が結果に直結するのではなく、
「自分はこのことを継続している」
 という思いが、精神的な支えになっているということなのだろう。
 このことは、私も実感としてよくわかる。
 毎朝4時30分に起きているが、最初のころは辛くて、自分を励ましてばかりだった。
 だが、これを継続するうちに、精神的な意味で張りが出てくる。
(自分はこうして毎朝4時30分に起きている)
 という思いが、精神に一本筋を通す。
 必要があって起きるわけではない。
 寝ていてもいっこうにかまわない。
 だが、「起きよう」と自分で決め、それをやり抜くことで、何かが見えてくるのである。
 実は先夜、編集者との打ち合わせのなかで、
「自分を変える方法、自分を強くする方法は、なんでもいいから継続することである」
 と、私が自分の経験から話をしたばかり。
 そんなこともあっても、村上春樹氏の一節に目がとまった次第。
「継続は力なり」
 とは使い古された言葉だが、その意味するところは奥深いのだ。

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