日日是耕日

俗にありて、煩悩を耕す365日

歳時記

習わぬ経を読む

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 昨日、愚妻がついに痺れを切らせて、
「畑へ行ってくる」
 と言って出かけた。
 私は都内で所用があって外出。
 お爺さんが山へ芝刈りに行き、お婆さんが川で洗濯する――というのは〝昔話の世界〟で、わが家は、夫は都内へお茶飲みに出かけ、愚妻は畑で鍬をふるうのだ。
 夕刻、帰宅すると、
「腰が痛くなった」
 と愚妻が畑仕事をアピールする。
「そうか、それは大儀であった」
 と、労(ねぎら)ってやれば八方丸く収まることはわかっているが、私の口をついて出た言葉は、
「バカ者。ちょっと畑へ行っただけで何たる弱音。農家ならどうするのだ」
 すると、愚妻が居直った。
「私、農家じゃないから」
 
 この一言に、私は考え込んだ。
 私は「農家」をたとえに出すことで、「腰が痛い」を叱責した。
 ところが愚妻は、そのたとえを否定することで「腰が痛い」を正当化してみせたのである。
 愚妻は「農家」ではない。
 これは事実だ。
 この大前提がある以上、論理的に愚妻が正しいことになる。
 私の負けだ。
 振り返れば、結婚して40年。
 長きにわたって、私と丁々発止をやっているうちに、愚妻は「論戦の技術」を身につけたということか。
「門前の小僧、習わぬ経を読み」
 という言葉が唐突に脳裏をよぎった。

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