日日是耕日

俗にありて、煩悩を耕す365日

歳時記

講演のあと、「人間関係」について考えた

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 昨日、東京商工会議所品川支部の依頼で、「殺し文句」についてセミナー講演をした。
「殺し文句」とは、人を納得させ、行動に駆り立てる技術である。私は心理学者ではないので学問的な話はできないが、これまでの経験を基に、どうすれば人は動くのか、どう持ちかければ納得するのかをお話した。
 メモを執る人など、みなさん熱心で、講師の私も力が入ったが、講演のあとで再認識したのは、「人間社会は、結局、人間関係がすべて」ということだった。
 だが、「人間関係」という言い方には、「妥協」というニュアンスがある。テクニカルなイメージがある。自我を殺して周囲に迎合する生き方のように思ってしまう。そういう生き方を潔しとせず、「我は我なり」という人生でありたいと願う。
 私もそう思って生きてきた。「我が儘」「言い出したら聞かない」「唯我独尊」――身内からはそう思われてきた。
 それが最近、変わってきた。
「自分があって社会がある」のではなく、「社会があって自分がある」と思うようになった。当たり前のことだが、これまで頭でわかっていたことが腑に落ちたのである。得心したのである。
 五十六歳という年齢のせいか、得度して仏門を勉強し始めたせいかわからないが、「人間関係」がすべてだと心底、思うようになった。
 同じ間違いであっても、A氏なら許せて、B氏なら絶対に許せないということがある。頼みごとでも、そうだ。利害を超えて、人間関係は成り立っている。
 自我が強く、周囲との協調意識が低いため、能力を発揮できない人がいる。
 そんな人間を評して、
「有能だけど、人間関係に問題がある。惜しいね」
 と言ったりする。
 これは間違いなのだ。
 人物評価は、「能力」+「人間関係」ではなく、「人間関係」+「能力」なのだ。
 つまり、人間関係がうまくいって、次に能力がものを言う。
 それを私たちは逆に考えている。
 人間関係もまた「能力」なのだ。
 この能力とは、全人格を言う。
 すなわち、人間関係の能力を身につけるには、全人格を磨くことに他ならない。
 全人格が能力を凌駕するのは自明の理であり、だから「人間関係」が先にあって次に「能力」だと、私は思うのである。
 人間関係に悩む人は多い。
 そうい人は、大きな勘違いをしている。
 人間関係は、悩んで当然なのである。悩まないほうが、どうかしているのだ。
 人間関係の悩みを解決する方法があるとすれば、それは全人格を磨くこと。
 磨こうと努力すること。
 自戒の意を込めて、私はそう思うのである。

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