日日是耕日

俗にありて、煩悩を耕す365日

歳時記

モンシロチョウの「羽音」

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 朝から雨。
 唐突に鰻(うなぎ)が食べたくなり、印旛村の『余白亭』に行く。
 骨董と盆栽が趣味の旦那は不在。
「静かで、いいのよ」
 と奥さん。
 雑談をしていると、窓の向こう、小川の上を雨に濡れながらモンシロチョウがひらひらと飛んでいる。
 見ているうちに、先日、畑に行ったときのことを思い出した。
 畑にはたんさんのモンシロチョウが飛んでいたが、そういえば羽の音がまったくしないことに、今さらながら気がついたのだ。
 じっと耳をすませていると、愚妻が、
「どうかしたの?」
 と問いかけてきた。
「蝶の羽の音が聞こえないものか、耳をすませておる」
「バカみたい。聞こえるわけがないじゃないの」
「それは音がしていないのか、それとも人間の耳に届かないだけなのか」
「集音マイクで試してみたら」
「そういう問題ではない」
「どういう問題よ」
 私たちは五感で確認できるものしか「存在」を認めようとしない。
 羽の音がしているなら、それは単に私たちの耳に届かないだけであって、現実には「存在」していることになる。
 すなわちモンシロチョウの「羽の音」は、「存在」と「認識」ということに対して、大いなる示唆を与えているのだ。
 私が耳をすませているのは、思索であって酔狂ではない。
 そのことを愚妻に説明すると、
「わかったわよ」
 つまらなさそうに返事して、
「早く草を刈ったら」
 リアリストとっては、蝶の羽音など、どうでもいいことなのだ。

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