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俗にありて、煩悩を耕す365日

歳時記

酒井法子の事件は「他人ごと」か

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 今日は薬物をテーマに保護司の研修会があった。
 薬物を断つための更正プログム等、保護観察所主任官の解説を聞きながら、やはり酒井法子のことを考えてしまう。
 彼女は周知のとおり、覚醒剤の反応が出ないための時間稼ぎをしたり、虚偽証言をしたりと大バッシングだし、社会的な影響を考えればそれも当然だろうとも思う。
 だが、その一方で、酒井法子の今後のことを私は考えてしまう。
 覚醒剤を断ち切れるか、ということである。
 これは、私たちが想像する以上に厳しい。
 酒やタバコですら、辞めるには大変な葛藤があることを思えば、その厳しさは想像がつくだろう。
 和田アキ子だったか、
「芸能界に安易に復帰させるべきでない」
 といった旨の発言をしているが、芸能界へ復帰云々よりも、「人間として復帰」できるかどうかを、私は心配する。
「酒井法子がどうなろうと知ったことではない」
 と言えば、そのとおりだろう。
 自業自得と言えば、まさにそうだ。
 だが、人間は弱い。
 明日は我が身かもしれないのだ。
 そう思うとき、酒井法子に無関心ではいられない。
 彼女は覚醒剤を始めた動機について供述を始めているが、それはあくまで〝行為〟としての動機であり、
「なぜ始めたか」
 という〝真因〟は、本当は彼女自身にもわからないのではあるまいか。
(どうして、こんなバカなことをしてしまったのだろう)
 それが彼女の本音であり、「どうして」という疑問の答えは容易には見つかるまい。
 なぜなら、その答えは、人間の心が持つ「不可解さ」と「危(あや)うさ」を解き明かすことであるからだ。
 それは容易ではなく、しかも「不可解さ」と「危うさ」は万人が有するものだ。
 そのことを考えるとき、酒井法子の事件に無関心でいられないと、私は思うのである。

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