日日是耕日

俗にありて、煩悩を耕す365日

歳時記

「自分を手玉に取る」という生き方

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 今朝、久しぶりに畑に出かけた。
 「ありゃ、芽が出とらんでぇ」
 指南役の親父が、畑をのぞきこんでボヤいた。
 ジャガイモの芽が出ているかと期待して行ったが、寒さのせいか、まだ芽は出ていなかったのである。
 収穫担当の愚妻は、芽が出てもいないジャガイモなど目もくれず、そそくさとホウレンソウの収穫にかかっている。
 畑は、ジャガイモの芽の変わりに、草がしっかりと生えている。
 草引きは私の担当である。
 さっそくクワを振るうが、たちまち汗びっしょり。
 しかも、草は一面にびっしりである。
(楽しみで始めた畑なのに、なんのこっちゃ)
 ウンザリしたところで、
(そうか)
 と、思い直した。
 全部の草を引こうと思うからウンザリするのだ。
 そうではなく、
(少しでいいんだ。今日のぶんだけ草を引けばいい。やらないよりは、やったほうがいい)
 そう思えばいいのではないか、と気がついたのである。
 私の人生観である「ベスト」より「ベター」である。
 すると、草引きが楽になった。
(もうちょっと取るか)
 と、今度は進んでやるようになった。
 同じ作業であっても、ノルマの意識から解放されると、人間は楽しんでやるということがよくわかるのである。
 他人をだますことを「手玉に取る」というが、私の場合、「自分」を手玉に取るのだ。
 そして、自分を手玉に取ることができれば、「自分の人生」を手玉に取ることができる。
 これぞ、楽に生きる方法ではないか、と畑でハタと考えたのである。
   

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