まだ九十九里の仕事場にいる。
今朝も10時に近くの旅館へ行き、屋上の露天風呂に浸かる。
目前には九十九里浜、そしてその向こう青い海が広がる。
タオル代込みで、千円の日帰り入浴。
費用対効果からすれば、これは最高の贅沢ではないか。
一流レストランでメシを食うより、私はこっちのほうがいい。
と、浜の空に凧(たこ)が舞っていることに気がついた。
十個(と数えるのかどうか知らないが)、凧がいくつも上がっている。
五月(さつき)の空に舞うのは鯉のぼりであって、凧じゃあるまい。
凧の出番は正月と決まっているのだ。
凧を上げ、餅をつき、コマを回すから正月なのだ。
風呂から上がって、この旅館で昼メシを食いながら愚妻にこのことを話すと、
「凧のことで怒ることはないでしょう。凧をいつ上げようと、その人の勝手じゃない」
例によって熱燗をやりながら、グビリと猪口(ちょこ)を飲み干す。
確かにいつ凧を上げようと勝手だが、歳を拾うと、こういうことに腹が立ってくるのだ。
日本から季節感がなくなってきた。
食材に春夏秋冬がなくなり、「走り」も「旬」も「名残」もなくなってしまった。
ゆく春を惜しみ、四季に心を遊ばせた日本人の感性と無常観は、次第に失われつつある。
日本と日本人はどこへ行くのだろう。
唐突に憲法改正のことが脳裏に浮かぶ。
四季を失い、平和憲法を失い、日本はフツーの国になっていくのか。
露天風呂から「凧」を見る
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