日日是耕日

俗にありて、煩悩を耕す365日

歳時記

露天風呂から「凧」を見る

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 まだ九十九里の仕事場にいる。
 今朝も10時に近くの旅館へ行き、屋上の露天風呂に浸かる。
 目前には九十九里浜、そしてその向こう青い海が広がる。
 タオル代込みで、千円の日帰り入浴。
 費用対効果からすれば、これは最高の贅沢ではないか。
 一流レストランでメシを食うより、私はこっちのほうがいい。
 と、浜の空に凧(たこ)が舞っていることに気がついた。
 十個(と数えるのかどうか知らないが)、凧がいくつも上がっている。
 五月(さつき)の空に舞うのは鯉のぼりであって、凧じゃあるまい。
 凧の出番は正月と決まっているのだ。
 凧を上げ、餅をつき、コマを回すから正月なのだ。
 風呂から上がって、この旅館で昼メシを食いながら愚妻にこのことを話すと、
「凧のことで怒ることはないでしょう。凧をいつ上げようと、その人の勝手じゃない」
 例によって熱燗をやりながら、グビリと猪口(ちょこ)を飲み干す。
 確かにいつ凧を上げようと勝手だが、歳を拾うと、こういうことに腹が立ってくるのだ。
 日本から季節感がなくなってきた。
 食材に春夏秋冬がなくなり、「走り」も「旬」も「名残」もなくなってしまった。
  ゆく春を惜しみ、四季に心を遊ばせた日本人の感性と無常観は、次第に失われつつある。
 日本と日本人はどこへ行くのだろう。
 唐突に憲法改正のことが脳裏に浮かぶ。
 四季を失い、平和憲法を失い、日本はフツーの国になっていくのか。

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