日日是耕日

俗にありて、煩悩を耕す365日

歳時記

50代からは「おまかせメニュー」

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 毎週、水曜日はメダカの水替えの日にしている。
 水曜日の「水」は「水替え」と覚えておけばいいからである。
 で、昨日の水曜日も水替えをしたが、
(同じものを食べていてあきないのだろうか?)
 と余計なことを考えながら、メダカがちょこまか泳ぐ姿を見ているうちにふと、「人生」を「食事」にたとえる考えがよぎった。
 50代までは《アラカルトメニュー》、50代からは《おまかせメニュー》ということだ。
《アラカルトメニュー》であれば、好きなものをチョイスできる。
 つまり、「選ぶ食事」だ。
《おまかせメニュー》は、店が出してくれる料理を食べる。
 好き嫌いはあろうが、板前なりシェフが腕を振るったもので、出されたものを味わう食事だ。
 これを人生に即して言えば、意に染まないことでも〝出された〟ものを引き受ける処し方だ。
 たとえば町内会の役員、あるいは趣味の会など、頼まれたり誘われたりしたら、気が進まなくても引き受けてみるのだ。
 依頼する側、誘う側にしてみれば、
「この人なら」
 という思いでそうしているのだ。
 20歳の若者に、町内会の役員を依頼することはない。年齢、見識など「この人なら」と思って頼んでくるのだ。
 自分は、若いままの人生を引きずっているため、そうと意識しないが、
「社会的にそういう人間に見られている」
 ということでもあるのだ。
 ならば、引き受けるべし。
 誘いには乗るべし。
 これを「縁が整った」という。
 流れに逆らわず、身をまかせよう。
 きっと、人生の新しいステージが開けるに違いない。
 水槽のメダカを見やりながら、そんなことを考えていると、
(龍笛を始めた事で、また少し人生が変わるかもしれないな)
 と、わくわくしながら、そんなことを思うのである。

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