日日是耕日

俗にありて、煩悩を耕す365日

歳時記

「日本の正月」はどこへ行った?

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 娘夫婦が孫二人をつれて遊びに来た。
 6歳の男児と4歳の女児である。
「おめでとう」
 舌足らずな口調で挨拶する孫たちに、私がいじわるで言う。
「何がおめでたいの?」
「正月だから」
 男児が当惑しつつ、おずおずと言えば、
「正月は、おめでというって言うんだよ」
 おませな女児がムキになる。
「どうして正月はおめでたいの?」
 私がさらにツッコミを入れると、
「ちょっと!」
 愚妻が眉をつり上げ、台所から小走りに出て来ると、
「正月早々、バカなこと言ってないのよ!」
 我が娘もまた愚妻に呼応して、
「昔からヘソ曲がりなんだから」
 そして、娘の亭主はどっちにも味方できず、曖昧に笑うばかりである。
 さて、正月がめでたいのには二つの理由がある。
 一つは、年神様(としがみさま)をお迎えする時節であること。
 年神様は、農耕民族たる私たち日本人に五穀豊穣をもたらす祖先のことで、大晦(おおつごもり)の夜に各家庭を訪れ、松飾りを取る七日にお帰りなる。
 もう一つの理由は、1月1日は日本人の誰もが「誕生日」であったこと。
 昭和25年以後、日本は誕生日で年齢を数える満年齢となっているが、それ以前は正月をもって一つ年を取った。
 生(せい)あることへの感謝と、齢(よわい)を一つ重ねることへの決意とを「おめでとう」の一語に秘めるのが古来より続いてきた日本の正月で、めでたさのなかの荘厳とでも言うのか、爆竹を鳴らしてお祭り騒ぎする諸外国とは、正月の持つ重みが違うのだ。
 神道的行事ではあるが、宗教云々を抜きにして、日本の習俗と言っていいだろう。
 その日本の正月も、正月らしくなくなったと言われて久しい。
 なるほど、お節の代わりにレトルトのカレーを食べ、宅配のピザを頬ばる元旦に、居住まいを正す雰囲気はない。
 カレーが悪いわけでもないし、ピザもいい。
 ただ、年齢を一つ重ねる「特別の日」が、古来より続いた日本の正月であることを思えば、正月らしくなくなったというのは何を意味しているのだろう。
 日本人が日本人としてのアイデンティーを失ってきた現れ、と言っては言い過ぎだろうか。
 正月が、正月らしくなくなったのではない。
 私たち日本人が変わったのである。

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