日日是耕日

俗にありて、煩悩を耕す365日

歳時記

昼間のスーパー銭湯

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 私がよく行くスーパー銭湯は、自宅からクルマで20分ほとで、いつも夜に行く。
 これに今朝、ふと疑問を抱いた。
(用事がない日は、日中に行ったっていいではないか)
 なぜこのことに、いままで気づかなかったのか。
 日々、新たな発見があるものだ。
「行くぞ」
 すぐさま愚妻に命じて、風呂の用意をさせた。
 私ひとりで行けばいいのだが、風呂の回数券は愚妻が保管しているし、着替えがタンスのどこに入っているか、私にはわからない。
 したがって、やむなく愚妻を帯同することになるのだ。
 風呂へ行って驚いた。
 ガラ空きだろうと思っていたら、混んでいるではないか。
「ヒマ人ばっかりではないか」
 私が口をとがらせると、
「あなたもその一人じゃないの」
 愚妻がバチ当たりなことを言う。
「私はヒマ人ではない。たまたまヒマができたのだ」
「同じでしょ」
「違う、断じて違う」
 風呂で、夫婦の論戦になった次第。
 本願寺中興の祖である蓮如上人の言葉に、
《われは悪(わる)しと思う人なし》
 というのがある。
「人間は、自分というものにとらわれいるために、自分が悪いと考える人はいない」という意味で、自己中心の生き方や価値判断を戒める。
 盗人にさえ〝三分の理〟があるとするなら、私たちには百パーセントの理があると考えるだろう。
 だから「百パーセントVS百パーセント」となり、自説に固執するのである。
 そのことに湯船で思い至った私は、帰途に立ち寄ったトンカツ屋で、愚妻に話して聞かせた。
「いいか、本願寺中興の祖である蓮如上人の言葉に《われは悪しと思う人なし》というのがある」
「ソース取って」
「だから人間は、自分というものにとらわれているために……」
「ドレッシング取って」
「だから人間は……」
「このトンカツ、よく揚っているわね」
「ホントだな」
 風呂は、やはり夜に限るようだ。
 

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