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俗にありて、煩悩を耕す365日

歳時記

中川元大臣の死に思う

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 中川昭一元財務相が亡くなった。
 現時点で死因は不明とのことだが、誰しも〝自殺〟と思ったことだろう。
 私もそう思ったし、メディアもそのようだ。
 死因が何であれ、あの〝朦朧(もうろう)会見〟が原因で中川氏が落選したとき、私はあれこれ考えたものだ。
 まず政界復帰しても、いや復帰すれば必ず、ことあるごとに〝朦朧会見〟が繰り返し放映されるだろう。
 大失態は、その世界にとどまる限り、永遠に繰り返し取り沙汰される。
 これが世のなかであり、政界に限らず、私たちも同じ目にあうのだ。
 だから、取り返しのつかない大失態を演じたら、さっさと身を引き、〝大失態の知名度〟を活かして、転身を図るべきだ。
 たとえば私が中川元大臣であれば、落選を機に政界を引退し、宗教界に転身したろう。
 かの〝朦朧会見〟で「ナカガワ」の知名度は世界的。
 政界という〝煩悩の坩堝(るつぼ)〟での経験や具体的エピソードを披露しつつ、人間の愚かさや欲望、さらに戦争の本質、幸せとは何か、生きるとは何か、といったことを宗教人として説けば、講演の引き合いは世界中から来るだろう。
 何しろ、まだ56歳なのだ。
 政界で再起も結構だと思うが、経験を活かして「平和」と「人生」を説くのも、政治に劣らずダイナミックなことだろうと私は本気で思っていた。
 中川元大臣に、「自分」と「自分の人生」を俯瞰(ふかん)して見る視点があったなら、〝朦朧会見〟を逆手に取る生き方もあったろうにと、残念に思うのである。
 私たちもまた、森で道に迷ったなら、高い木に登って俯瞰することだ。
 あせって、いたずらに歩きまわるのは、道に迷い、出口を見失い、袋小路で絶望するだけなのである。
 中川元大臣に哀悼の意を表しつつ、私はそんなことを考えた。

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