日日是耕日

俗にありて、煩悩を耕す365日

歳時記

不足をもって幸福に至る

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 昨日、時代小説の原稿を編集者に渡して、ひと息。
 夜の稽古が終わって、スーパー銭湯へ。
 いつもはノートパソコン持参で、入浴の合間に原稿を書くのだが、今夜くらいは頭を空っぽにしようと思って手ぶらで行った。
 4月末〆切ですぐに「しつけ」について書き下ろさなければならないのだが、まっ、明日から、というわけである。
 で、ブログを書こうと思って、こうしてパソコンに向かったら、書くことがないのである。
 目前に〆切を抱えているときは、書きたいことが次から次へと出てくるのだが、〆切に余裕があってゆっくりブログが書けるとなると、書くことがなくなるというわけだ。
(頭を空っぽにしたせいか?)
 とも思ったが、そうではないようだ。
 たぶん、「ないものねだり」に共通する心理状態になるのではないか、と思う。
 忙しいときほど、束の間の遊びは楽しいものだ。
 忙しければ忙しいほど、
(ゆっくり温泉でもつかりたいなァ)
 と思う。
(あれもしたい、これもしたい)
 と思う。
 ところが、いざヒマになると、なんにもしないのである。
 ブログも同じで、いざ時間ができると、気合いが入らなくなるのだろう。
 先日、稽古で子供たちに、
「次回から試合の稽古を始めるから、昇級のための新しい型を教えるのは今日で終わり。そのつもりで」
 と告げると、目の色を変えて稽古していた。
 知人の植木屋が言っていたが、木は、切ってやると、「種の保存」という本能が働いて、大あわてで新芽を出すそうだ。だから枯れないように見極めながら大胆に刈り込んでやるのがコツだと教えてくれた。
 人間も同じで、何事も足りないくらいでちょうどいいのかもしれない。
「不足至幸」――不足をもって幸せに至る。
 いま思いついた私の造語である。

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