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俗にありて、煩悩を耕す365日

歳時記

「政治家の演説」と「自己責任」

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 自民党総裁選は、デキの悪い茶番劇である。
「拉致問題は、私の手で解決したい」――福田候補のこの発言を聞いて、そう思った。
「したい」と願望を言っているだけであって、「する」とは言わないのだ。
 なるほど諸般の事情で、それが実現できない場合もあるだろう。だから「する」とは言い切れないかもしれない。
 だが、「できなかった場合、私は責任を取ります」ということなら明言できる。自分のことだから、「腹を切ります」と言い切れる。「土下座して国民のみなさまにお詫びします」と言い切れるのだ。
 ところが福田候補は「したい」と言うだけで、自己責任については一切の公言をしない。だから茶番であり、卑怯であると、私は思うのだ。
 似た言葉に「全力を尽くす」というのがある。
「できるか?」
「全力を尽くします」
「よし、頼んだぞ」
 こんな具合だ。
 だが、「全力を尽くす」は、答えになっていないのだ。
「できるか?」
 と問うているのだから、返事は「できる」「できない」でなれけばならないのだが、それをシカトして、「全力をつくします」という言葉でごまかしているのだ。
「全力をつくす」と言えば聞こえがいいが、要するに「結果については関知せず」ということなのである。
 これまで国政選挙のたびに、候補者たちは「国民の幸せ」を公約する。ならば、私たちはとっくに幸せになっていなければならないに、現実はどうだろうか。
 政治家が悪いのではない。
 選ぶ私たちに責任があるのだ。
 

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