日日是耕日

俗にありて、煩悩を耕す365日

歳時記

鰻屋の主人が語った人生論

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 千葉県の印旛村に『余白亭』という、鰻と鴨を食べさせる店がある。
 ご主人と奥さんの二人でやっている。
 ご主人は六十代で、奥さんはそれより十歳以上は若いだろうが、屋号のごとく、「人生の余白」――すなわち趣味でやっている店だ。店と言っても、民家に靴を脱いであがる雰囲気で、四人掛けのテーブルが二つだけ。しかも昼間の営業は二時間程度で、夜は予約で一組しか取らない。まさに、趣味の店のなのである。
 それだけに安くてうまい。
 このご主人は、建設会社の社長をやったり、趣味が高じて美術商に転じたりと波乱の人生を送った人で、あれこれ人生の蘊蓄を聞かせていただくのが楽しく、私はときどき顔を出す。
 で、先日、鰻を食べに行ったときのこと。
 著名な陶芸家の湯呑茶碗を出してきて、
「持ってごらん。どう? 軽いでしょう。湯呑はね、見た目は重く、手取りは軽く――というのがいいんですよ」
 とおっしゃった。
 見た目は重厚だが、実際に使ってみると軽い――という意味だ。
 そして、別の陶芸家の湯呑を出して来て、
「こっちはどう?」
「重いですね」
「茶の経験のない陶芸家が茶器をつくると、こうなるんだね」
 と笑った。
 いくら陶芸の腕がよくても、「それを茶器として実際に使った場合にどうか」という視点がなければだめだ、ということをおっしゃったのである。
 本物とは何か。
 本質とは何か。
 自分は、「机上の空論」を振りまわしてはいないだろうか。
 鰻を食べながら、そんなことを考えた。

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