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俗にありて、煩悩を耕す365日

歳時記

「結果悪ければすべて無駄」という愚かな人生

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「結果よければすべてよし」――これがビジネス社会だ。
 どんなに努力しようが、仕事として成功しなければ評価ゼロ。反対に、寝転がっていようと、結果を出しさえすれば賞賛される。努力という「過程」がホメられるのは小学生だけ――これがビジネス社会なのである。
 ならば、必死の努力をしてなお、結果が出せなかった人間はどうなるか。努力の期間が、1ヶ月とか1年といった短期間であればともかく、人生というスパンで考えた場合、結果が出せなかった人間は「負け組」になってしまう。
 反対に、たいした努力もせず、スイスイと世の中を泳ぎまわることで結果を出した人間は「勝ち組」なのである。
 頭にくる。
 努力が報われない社会など、どこかが間違っていると思う。
 だが、これを「人生の不条理」と不満を抱くのは間違いなのだ。
 なぜなら、「結果」というゴールから見て、「過程」を評価することになるからだ。
 マラソンを例にすればわかりやすいだろう。苦しい思いをして走っても、メダルを取れなければ「負け組」になってしまう。努力が無駄骨になってしまう。
 だが、結果と関係なく、走ること自体を〝楽しみ〟にしたらどうか。メダルを取れなくても――すなわち客観評価はどうあれ――42.195キロは無駄にはならない。いや、楽しんで走ったぶんだけ幸せな気分になるだろう。
 
 ビジネス社会も同じだ。
「結果よければすべてよし」であることは厳然たる事実ではあるが、その一方で「過程」を楽しむのだ。結果が出ればなおよし。結果が出なくても、楽しんだぶんだけ得をするではないか。人生の不条理を憤る人は、「結果」というオール・オア・ナッシングの価値観に囚われている人なのである。
 人生という時間は限られている。「結果悪ければすべて無駄」という人生など、愚かなことではないか。それでなくても、人生は問題山積なのだ。今日という日をいかに楽しむか。いや、楽しんでみせるか。人生の要諦は、そこにあるのではないかと私は思っている。
  

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