日日是耕日

俗にありて、煩悩を耕す365日

歳時記

「逆張り」という生き方

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 朝の読経を終え、散策のため着替えようとしたら、外が何となく暗い感じがする。
 雨の予報はなかったので曇天か?
 
 外をのぞいて確かめてみればいいのだが、生来のものぐさゆえ、手もとのアイパッドで「いま現在」の天気予報を見る。
 曇りである。
 二日続けて晴天だっただけにガッカリするが、曇天があるからこそ、晴天の心地よさがある。
 曇天こそ「心地よさの素」ではないか。
 そんなことを思うと、不意に親鸞聖人のご和讃が脳裏をよぎる。
『罪障功徳の体となる こおり(氷)とみず(水)のごとくにて こおりおおきにみずおおし さわりおおきに徳おおし』
 このところ「親鸞教義」を読んでいるせいだろうが、なるほど視点を変えれば真逆の発想になる。
 黒いものも白くなるのだ。
 そういえば、ヤクザ社会は、
「親分が白と言えば、黒いものでも白くなる」
 と言われるが、これは理不尽なことを象徴して言っているのではなく、「真逆の発想」という高邁な哲学的見地なのかもしれない。
 深い。
 実に、奥が深い。
 そんなことを考えているうちに、出発が遅れてしまい、大急ぎで飛び出して行った。
 田んぼがあり、畑がある。
 家庭菜園もあちこちにある。
 趣味でやっているだろう。
 ネットを張ったり、杭を打ってヒモで囲ったり、見るからにシロウトの手作業である。
 だが、見てくれが悪いからこそ、そこに人間の営みが見てとれる。
 AIの時代を迎えたが、こうした営みにこそ、まさに「人間のいのち」というものを感じる。
 AIという時代のベクトルに背を向けて生きていこう。
 逆張りの人生である。
 世間が黒と言ったら、私は白と言うのだ。 

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