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歳時記

聖徳太子と「一万円」

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 聖徳太子のこんな言葉を知っているだろうか。
「我れ必ず聖(さかしき)にあらず、彼れ必ず愚(おろか)にあらず。ともにこれ凡夫(ただひと)ならんのみ」
 聖徳太子が制定した『十七条憲法』の第十条に出てくる一節で、
「私は、みんなと同じようにただの人間にすぎない」
 という意味だ。
 聖徳太子については説明の必要もあるまいが、いまから千四百年前の飛鳥時代、推古天皇の摂政として政治をおこない、日本史上もっとも尊敬されている人物の一人で、かつて一万円札の顔でもあった。
 その聖徳太子が「私はただの人間にすぎない」として、こう続けるのだ。
「相共に賢愚なること、鐶(みみがね)の端なきがごとし」
 鐶(みみがね)とは、いまで言えばイヤリングのことで、
「賢いとか愚かといったところで、それは鐶(みみがね)のように輪になって一体になっているものだ。それぞれが、自分は〝ただの人間〟であるということを自覚することによって、他人と共存できる」
 と〝和の精神〟を説いたのである。
 聖徳太子は政治家であるとともに、大陸から伝わった仏教を本格的に広めた人物であるだけに、賢愚を鐶(みみがね)にたとえて説く〝和の精神〟に、太子の仏教的人間観があらわれているといえよう。
 だが、聖徳太子の人物像や偉業について知る人は少ない。
 それはきっと、「一万円札」の顔になったからではないだろうか。
「聖徳太子」
 といえば、
「一万円」
 と答えた時代が、あまり長かった。
 すなわち聖徳太子の悲劇は、一万円札になったことではないかと、私は考えているのだ。

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