人生の「苦」は、「思いどおりにならないこと」にある。
私が言うのではない。
お釈迦様がおっしゃったのだ。
そして、この「苦の正体」を見つけ出したことが、お釈迦さまの偉業の一つとされる。
(すごい発見だ)
と唸(うな)りつつ、
(そうだろうな)
と、身にしみてこのことを感じないわけにはいかない。
私など愚妻との関係において、思いどおりにならないことばかりではないか。
まさに私は「苦の極地」に生きていることになるのだ。
昨日、九十九里の仕事部屋に来るクルマの中で、私はそのことを愚妻に告げると、
「お釈迦さんがそうおっしゃってるだけなんでしょう。キリストさんにも訊いてみたら」
バチ当たりなことを平気で口にするのである。
そういえば、先日、軽井沢に所用があってクルマで出かけたときのことだ。
フツーの妻であれば、
「気をつけて行ってらっしゃい」
と言って夫を送り出すだろうに、愚妻はそんな気づかいは微塵もなく、
「ちょっと、稽古時間に遅れないでよ」
冷たく言い放ったものだった。
だが、それでも最近は仏教に興味が出てきたようで、築地本願寺のおあさじ(毎朝7時から行われる勤行)に誘うと、
「行ってみようかしら」
と言うようになってきた。
これまでは、
「行ってらっしゃい、ひとりで」
とフトンをかぶっていたことを思えば隔世の感があるではないか。
これも夫の教化の賜と思ってくれればいいが、バチ当たりゆえ、思うわけがあるまい。
昨日も今日も、私は「苦の極地」で原稿書き。
愚妻は鼻歌まじりで温泉健康ランド。
人生とは何と不条理であることか。
人生の不条理
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