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俗にありて、煩悩を耕す365日

歳時記

リーダーシップとは「背中」を見せること

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 福田首相の人気が下落の一途だ。
 有能だし、悪い人には見えないのだが、いかんせん一国の首相としてリーダーシップがないのである。
 では、リーダーシップとは何か。
 現実に即せば、その解釈たるや、そう簡単ではないのだ。
 周知のように本来の意味は、集団をまとめ、引っ張っていく能力のことだ。
 学生時代は、部活のキャプテンや生徒会、自治会の長などがこの能力を発揮し、文字どおり先頭に立ってみんなを引っ張っていく。
 だが会社に入ると、リーダーシップの意味はちょっと変わってくる。
部下(集団)を統率するというのは同じだが、学生時代と違って、自ら先頭に立って引っ張っていくというよりも、
「いかに部下を働かせるか」
 というニュアンスが強くなってくる。
 自分は後方に待機していて、部下のケツを叩いてもいい。
 責任というプレッシャーをかけても構わない。
 出世というエサをちらつかせようが、報奨金で釣ろうが、情で縛ろうが、酒で丸め込もうが、
「成績さえ上げれば、何でもあり」
 というのが会社人間のリーダーシップなのである。
 だから、書店の棚に並ぶリーダーシップ論の多くは、
「人の動かし方」
 であり、
「部下をいかに操るか」
 という〝策略〟の指南書となっている。
 力強さや責任感という、本来のイメージからはほど遠いところで、リーダーシップという言葉が使われているのが、実社会なのである。
 だが、ここで留意すべきは、子は親の背を見て育つと言うがごとく、部下は上司の背中を見て信頼し、尊敬するのだ。
 腹でも胸でもなく、見せるのは「背中」。
 つまり、先頭に立てということなのだ。
「諸君、今度のプロジェクトは必ず成功させるぞ。頑張ってくれたまえ」
「はい!」
「じゃ、あとは頼んだぞ」
 檄を飛ばすだけ飛ばしておいて、上司がネオン街に「お先に失礼」では、
「やってらんねえよ」
 ということになる。
 このあたりの機微は、ヤクザの親分にはかなわない。
「殺(い)てもうたらんかい!」
 と檄を飛ばすのは二流の親分。
 子分を走らせておいて、自分はクラブでホステスの肩を抱いているような親分は三流で、若い衆のあいだで、
(なんでワイが貧乏クジ引かなあかんのんじゃ)
 と不満がくすぶる。
 一流の親分は違う。
 大組織になれば別だが、会社と同じで、中小組織は親分や社長の〝姿勢〟が、そのまま組員や従業員に影響する。
「よっしゃ、わしが、この手で殺(と)っちゃる」
 親分みずから率先だ。
「オヤジ、それだけはやめてつかあさい。わしら若いもんが笑われますけん」
「バータレ! 子分(こども)を懲役にやる親分(おや)が、どこにおるんなら!」
「親分、お願いします! わしにまかせてつかあさい!」
 こんな具合だ。
 会社においても同様で、
「みんな今夜は会社に泊まり込みで企画書を仕上げてくれ。じゃ、僕はちょっと用があるから失礼する」
 これじゃ、部下は不満タラタラ。
 リーダーたる上司は信頼を失い、以後、このチームはろくな仕事をしくなるだろう。
 ところが、
「よし、この企画書は、僕が泊まり込みで仕上げようじゃないか。諸君たちは疲れてるだろう。みんな帰ってくれ」
 捨て身で、バーンと「背中」――すなわち先頭に立つ。
 矢面に立つ。
 部下に背中を見せるのだ。
「何をおっしゃいます。課長こそお帰りください。あとは我々がやっておきますから」
 部下にこう言わせられたら、〝リーダー〟の勝ちなのである。
 さて、福田首相はどうか。
「まっ、よく話し合ってね、どうするか、慎重に考えて、まっ、決断しなくちゃ、ならないんじゃないですかね」
 これじゃ、やっぱりリーダーとは呼べないだろう。
 一国民として残念ではあるが。

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