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歳時記

桝添サンを「他山の石」とせよ

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 厚労相の桝添要一サン、ピンチですね。
 例の「消えた年金の照合問題」です。
「3月までに照合を終えてみせます」
 と言い切り、
「さすが桝添。実行力が違う」
 と国民を期待させておきながら、
「やっぱり無理ですな」
 と涼しい顔。
 しかも、公約違反だと批判されるや、
「3月が終わればすべて年金問題がバラ色の解決ができているという誤解があった。『3月までに全部片づける』とは言っていない」
 と居直るんだから、「おいおい、ちょっと待ってくれよ」――である。
 私は『「できる男」の話し方』という本を書いているが、その著者として言わせてもらえば、こんな居直りは「できない男」の典型である。
 なぜなら、誰一人として、
「桝添の言うことも一理ある」
 とは思わないからである。
 むしろ逆効果で、「3月までに片づけられない」ことよりも、「居直り方」が批判されているのだから、愚かなことである。
 ここは真摯に、誠意をもって謝ればよかったのだ。
 誠意をもって謝れば、
「桝添って、けっこう信用できるじゃん」
 という評価になるのである。
 いつも言うことだが、批判や怒りは、失敗したそのことよりも、言い訳に対してなされるものなのだ。なぜなら言い訳の根底にあるのは、「自分は悪くない」という自己主張であるからだ。
 ところが、凡夫はそこがわからない。
 言い訳をし、自己正当化を図ろうとする。
 そして、正当化しようとすればするほど「否定化」になっていくのである。
 たとえて言えば、北海道に行くつもりでいながら、九州に向けて必死で自転車のペダルを漕いでいるようなもの。努力すればするほど、「目的」から遠ざかっていくのである。
「オレ、ちっとも悪くないんだよ」
「えッ? 誰が悪いの?」
「誤解した国民に決まってるじゃないの」
「じゃ、謝るのは国民ってこと?」
「論理的にはそうなるね」
「桝添サン、誤解して申しわけありませんでした」――なんてことになるわけがないのである。
 桝添サンをもって「他山の石」とすべし。

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