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俗にありて、煩悩を耕す365日

歳時記

一刀流の極意に学ぶ「人生の直感」

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このブログは、更新の間が空き過ぎると、知人から小言をいただいた。
 HPのアクセス件数は、ブログ更新の頻度による、と知人は言うわけだ。
 もちろん、こうしてHPを開設してブログを書いている以上、アクセスして欲しいのは当然だが、アクセスしてもらうためにブログ更新の頻度を多くするというのは、本末転倒ではないか。
 そう言うと、
「横着な人間ほど、口は達者なものさ」
 と、知人は鼻で笑った。
 ごもっとも。
 〆切のない原稿は、なかなか書けないものなのである。
「漫画ゴラク」の巻末に活字ページがあり、私はここに「男の兵法」と題したエッセーを連載してまもなく1年になるが、毎週水曜日渡しの原稿は1度たりとも遅れたことはない。
 週刊誌記者が長かったせいか、どうやら〆切には強迫観念がありるようで、どんな原稿も遅れることはないと自負しているが、このブログだけは〆切がないため、一気にゆるんでしまうというわけである。
 〆切と言えば、私は夕刊のスポーツ新聞社に勤めた経験がある。
 廃刊になって久しいが、ナイガイスポーツというタブロイド判の夕刊スポーツ紙で、私は競馬記者をやっていた。
 勤めたといっても、大学卒業を前にした1月から、ダービーが終わる5月までの4ヶ月足らず。競馬記者とは名ばかりで、
「馬が歩き出すとき、どの足から動かすか知っているか?」
 とデスクから訊かれて、
「そのときの気分じゃないですか」
 と答えて、怒られたことをいまも忘れないでいる。
 競馬をやる人なら誰でも経験があると思うが、「直感」と「検討」では、直感のほうが正しい場合が少なくない。
(2―6)
 馬券を検討していて直感が閃くが、いざ馬券を買うときになると、
(いや、ちょっと待て)
 理性がブレーキをかける。
 直感を理性が吟味するのだ。
(ウーン、どう考えても2―6はあり得ない。外そう)
 直感を否定して、理性に従って馬券を買う。
 結果は2―6の万馬券。
「チキショー! そうじゃないかと思ったんだ。ほら、見てくれよ、買おうかと思って、ちゃんと印(しるし)をつけてんだろ」
 よくある話だ。
 あるいは、ビジネス。
 自動車デーラーの営業マンが、商談の匂いを嗅ぎ取った。根拠はない。運送会社の社長と話していて、そう直感したのだ。温泉にでも招待して、ひと押しすれば大量注文が取れるかもしれない。上司に相談する。
「直感? バカ言ってるんじゃない。あの会社は、昨年、新車に入れ替えたばかりじゃないか」
 一蹴され、それもそうだと納得する。
 二ヶ月後、ライバル会社が軽のワゴン車を二十台納品した。運送会社は、小口配達に力を入れ始めるところだったのである。
 あなたは、自分の直感をどこまで信じるだろうか?
 伊東一刀斎と言えば、現代の剣道にまで連綿と続く一刀流兵法の創始者として知られるが、直感という〝無意識〟をもって剣の極意とした。
 こんなエピソードがある。
 一刀斎が兵法上達を祈願し、鎌倉八幡宮に参籠したときのことだ。満願の夜を迎えてなお神意を得ること叶わず、一刀斎がやむなく引き上げようとした、そのときである。背後にくせ者の殺気を感じるやいなや、一刀斎は無言のまま抜き打ちざまに斬り殺してしまったのである。
 後年、一刀斎は門人に、こう語ったという。
《「われ往年、八幡宮参籠の節、誤りて人を殺害せしことあり。つらつらそのことを考えるに、これすなわち無想剣なるべし。いかにとなれば、なんの思慮分別もなく、眼にさえぎるやいなや、そのまま抜き打ちにせしなり。これ、剣の極意、無想の場なるべし」》(戸部新十郎著『剣は語る』)
 無想――すなわち直感に技が反応したということであり、これが一刀流の極意「無想剣」なのである。
 直感を理性で判断するなら、
「誰だ!」
 と、まず誰何(すいか)し、その返答によって刀を抜くかどうか判断すべきだろうが、それでは遅れを取ってしまう、というわけである。
 もちろん、知識や経験は大事だ。
 だが、私たちは、知識や経験という過去の蓄積に頼り過ぎてはいないだろうか。常識はどんなに深化させても、常識の先は常識しかないのだ。
 それでは、つまらない。
 そろそろ知識や常識、経験を削ぎ落とし、直感で行動してみようかと思い始めたところだ。
 常識をとらわれず、常識を超越した直感に従うのだ。 
 「非常識」ではない。「不常識」の人生である。
 

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