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歳時記

弁護士の「本音」は奈辺にありや

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 最高裁の弁論を弁護士がドタキャンしたことが、ニュースとして大きく報道された。
 周知のとおり、「光市母子殺害事件」である。
 ドタキャンの理由が、模擬裁判のリハーサル出席だったそうだが、法曹関係者は「裁判の引き延ばし戦略ではないか」とテレビでコメントしていた。
 ちなみに「光市母子殺害事件」というのは、山口県光市で99年に起きた母子殺害事件で、妻を暴行目的で襲い、抵抗されたため、手で首を絞めて殺害。傍らで泣いていた長女(同11カ月)をも絞殺するという残忍非道な殺人事件だ。被告(当時18歳、現在25歳)は1、2審で無期懲役とされたが、検察は「反省の情がまったくうかがえず、極刑をもって臨むほかない」と死刑適用を求めて上告。これに対して弁護側は、被告の殺意を否定し、検察側上告を棄却して審理を高裁に差しもどすよう求めたもの。
 私はかねて、弁護士という職業に疑問を持っている。
 なるほど弁護士は、被告の利益のために最善をつくすことを使命とする。
 それはわかる。
 被告は、弁護士によってしか、その人権を守ることはできない。
 そういう意味で崇高な職業だと思っている。
 だが一方で、私が疑問を抱くのは、たとえば「光市母子殺害事件」において、弁護士は被告の殺意を否定しているが、
「本気でそう思っているのか」
 ということだ。
 つまり「弁護士」として、被告人の利益になるための主張なのか、それとも「人間」として本気でそう思っているのかどうか、ということなのだ。
 疑問を持つ例はいくらでもある。
 たとえば、奈良の〝騒音オバさん〟。CDラジカセで音楽を大音量で流し続け、近所の女性を不眠、頭痛状態に追い込んだとして傷害容疑で逮捕されたが、オバさんの弁護士は無罪を主張した。
 なぜ無罪なのかを、弁護士はこれから裁判で立証していくわけだが、法廷戦術としてではなく、この弁護士は本気で〝騒音オバさん〟が無罪だと信じているのだろうか。
 オームの麻原彰晃にしても、ホリエモンにしても、その他諸々の被告にしても、被告人の利益のために「弁護士」として全力を尽くすのは「正しい」。
 しかし、一人の「人間」として、弁護士は被告のことをどう思っているのだろうか。「彼らは絶対に正しい」「彼らは絶対に無罪だ」――と、本気で信じているのだろうか。
 職業上のテクニックで、無罪を主張したり、殺意や犯意を否定したり、心神耗弱を持ち出したりしたとするなら、「弁護士」としては優秀かもしれないが、「人間」としては唾棄すべき存在だろう。「法律として正ければ、すべて正しい」とする考え方は、「法に触れなければ何をしてもいい」という理屈と同質のものなのである。
 法律的には正しくても、人間的には間違っていることは、いくらでもある。
 弁護士の果たして何人が、そのことを考えているのだろうか。
 
 極悪人と知ったならば、弁護はすべきではない。極悪人にも人間としての権利があることを承知で、私はそう言いたい。被告の権利ばかり尊重され、被害者の人権がおざなりにされている。殺され損の社会でいいわけがないではないか。
 木の葉が沈んで石が浮くような世の中にしてはならない。

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