日日是耕日

俗にありて、煩悩を耕す365日

歳時記

進退に窮したら、居直るべし

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 もし、あなたが〝偽メール〟の永田寿康議員だったら、どう身を処したろうか。
 本日の衆院懲罰委員会で、永田議員は、
「事実無根のメールでご迷惑をおかけして……云々」
 と、ひたすら頭を下げ続け、自らの責任については、
「ほかに転化するつもりはない。委員会の議論を踏まえて判断する」
 とした。
「煮え切らねぇ野郎だな」
 と、大方の人が思ったことだろう。
 永田議員が所属する民主党の渡部恒三国対委員長でさえ、業を煮やし、
「武士なら潔(いさぎよ)く腹を切るべし」
 と断じたほどである。
 ところが、永田議員は辞めない。
 地位にしがみつく姿は醜悪として、世論の袋叩きにあっている。
 では、永田議員は潔く辞職すべきだったか。
 答えはノーだ。
 なるほど日本人は、桜の花のごとく、散り際の潔さを美徳とする。
 私も、そんな人生が好きだ。
 だが、本当に潔さは美徳なのだろうか。
 こんな例がある。
 ずいぶん前のことだ。
 Kという人気キャスターが、女性スキャンダルで、レギュラー番組のすべてから降ろされたことがある。深夜、ホテルに外人コールガールを呼び寄せたところを、写真週刊誌にスッパ抜かれたのである。
 で、Kはどうしたか。
 謝罪記者会見を開き、
「軽挙盲動を恥じています」
 と号泣した。
 シラを切るわけでもなく、「ノーコメントです」と逃げを打つわけでもなく、アッパレなことに、潔く事実を認めたのである。
 結果はどうか。
 テレビ界から抹殺された。
 事実を認めた以上、メディアもファンも視聴者も、擁護のしようがないのである。
 これがもし、
「コールガールは売った買ったの商品。それを買ってなぜ悪い」
 と居直っていればどうだったか。
 あるいは、居並ぶ報道陣に対して、
「一度も浮気したことのない人は手を挙げてください」
 と、挑戦していたらどうだったか。
 当初は世論の袋叩きだろう。
 サンドバッグである。
 瀕死の状態になるだろう。
 だが、一方的な非難には必ず〝揺れ戻し〟が起こるのもまた世間の常で、
「でも、Kが言うことも一理あるんじゃないか」
 という声が必ず起こってくる。
「男だもん、女遊びもするさ」
 という同情の声も出てくる。
 ところが、「ゴメンナサイ」と号泣されたら、〝揺れ戻し〟という弁護の声は起こらない。かくして、ブラウン管から閉め出されたというわけである。
 永田議員も、居直るべきだったのだ。
「結果として偽メールであっただけで、私の行為は政治家として正しかったと信じている」「政治家として、いささかの恥じるところもない」——と、堂々と居直ればいいのだ。
 政界をあげて袋叩きにされればしめたもので、トコトン居直っていれば、
「永田って、あれでなかなか骨があるじゃないか」
 という〝揺れ戻し〟が起こってくる。
「捨てる神あれば、拾う神あり」
 とは、この〝揺れ戻し〟のことを言うのだ。
 永田議員と対照的なのが、図らずも〝偽メール〟の当事者となったホリエモンである。
 彼は一連の容疑に対して居直り、検察と真っ向勝負している。
 誰が見てもホリエモンは〝悪役〟であるにもかかわらず、一貫して「ボクは悪くない」と言い続けている。
「潔く認めたらどうだ」
 と世論は、往生際の悪さを非難した。
 だが、その居直りも、こうまで徹底抗戦となれば、
「ホリエモンもなかなか骨があるじゃないか」
 という声が起こってくる。
 実際、そう思い始めている人も少なくないだろう。
 これが世の中なのだ。
 だから、進退窮まったときは、徹頭徹尾、居直るべきなのだ。
 居直り続ければ、やがて復活の芽が、自然に出てくるというわけである。
「潔さ」とは、決してカッコいいものではない。ツメ腹を切らせるときの常套句であり、戦いを放棄した〝負け犬〟が口にする自己弁護なのである。

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